本講座は、圏論をあまり専門的になりすぎない程度に理解したい、とはいえ、その基本的な考え方の本質はじっくり勉強したい、という人向けの「圏論入門」です。
「圏論」は21世紀の現代数学における最重要概念のひとつであるとされていますが、その基本的なアイデアは、単に「モノとモノを矢印でつなぐ」という極めてシンプルなものです。シンプルであるだけでなく、それは驚くほど豊かな構造をもち、数学のみならず、数理科学一般や、さらに広い領域への応用可能性を秘めた強力な概念です。しかし、それは同時にとても抽象的で、初学者にとってはなかなか近寄り難いものでもあります。
「圏論への近寄り難さ」のもうひとつの理由は、あまり身近な例がないことです。圏論は大抵、数学などの数理科学の枠組みで導入されることが多く、その実例もこれらの数理科学における高度な理論を背景にしたものになりがちです。実社会の中でよく目にするような、身近な対象を用いた例を作りにくいのが、圏論を難しくしている大きな原因となっています。
しかし、実社会の中にもさまざまな「圏論的現象」があります。例えば、カツ丼を注文するとき、おそば付きの「Aセット」にするか、ラーメン付きの「Bセット」にするか。Bセットにするなら、むしろ親子丼の方がいいか? となると、親子丼Aセットというのも存在するはずではないか? つまり、「カツ丼Bとカツ丼Aの関係における親子丼Bとの関係にあるべきもの」として(実際にあるかどうはわからない)カツ丼Aが浮かび上がってくる…このような思考を、我々は普段自然にやっています。ここで重要なのは、「親子丼Aと親子丼Bの関係」と「カツ丼Aとカツ丼Bの関係」の間の関係、つまり「関係と関係の間の関係」という、一段階層の上がった「高次の関係」に注目していることです。
また、カツ丼は料理だが、Aセットというのはそれ自体が料理なのではなく、定食的枠組みのようなものであること。そして、そばを引っ込めてラーメンに取り替えれば、AセットからBセットへの(枠組み自体の)変換が得られてしまうこと。このようなことを、ある程度構造化して考えることができれば、あなたはもうすでに圏論的な思考を行なっているのです。
私(加藤文元)は、世界中の人々がみんな圏論の基本的な言葉を使えるようになれば、例えば、職場で仕事上のきめ細かい意思疎通が、より正確に迅速に行えるようになるに違いないと思っています。圏とはモノと矢印のネットワークのようなものだ、とはよく言われますが、重要なのは、圏論の言葉によって「関係性の階層レベルを正確に捉え、モノや関係のきめ細かい役割を明確化できる」ことです(他にもあります)。
モノ自体や、モノとモノとの関係、さらにモノとモノとの関係の間の関係…といった関係性のレベルの違いを明らかにできて、しかもそれによって各々のモノや関係の役割を明確化できれば、人間のコミュニケーション能力は格段に向上するでしょう。圏論は、実は実社会にとても近い学問であるとも言えるのです。
この講座では、圏や関手、自然変換といった圏論の基本的な対象を説明し、その基本的な役割や本質的な側面について検討します。そして、いわゆる「米田の補題」を理解することを最終的な目標に据えます。その際、上述のような我々の「思考パターン」的な例も(そして、もちろん、簡単な数学的例も)交えてじっくり理解することを目指します。この講座の第1期が「最大公約数」という、比較的に簡単な算数の題材を選んでいるのも、このような理由からです。そして、実はそれが圏論のある種の側面を非常によく切り取っているものであることが、次第に明らかなってくるでしょう。
圏という奥深く、数学を飛び越えた多彩な側面と応用例をもつ現代数学の対象について、その本質的な考え方を垣間見ることのできる本講座に、多くの方の受講をお待ちしております。