本講座は圏論を、あまり専門的になりすぎない程度に、でもその基本的な考え方の本質はしっかり理解したい、という人向けの「圏論入門」です。本講座では拙著『はじめての圏論・ブンゲン先生の現代数学入門』(講談社ブルーバックス・2025年10月刊)の第1章〜第7章の内容を扱います。
「圏論」は21世紀の現代数学における最重要概念のひとつですが、その基本的なアイデア自体は、単に「モノとモノを矢印でつなぐ」という極めてシンプルなものです。シンプルであるだけでなく、それは驚くほど豊かな内容をもち、数学のみならず数理科学一般や、さらに広い領域への応用可能性を秘めた、とても強力な理論です。しかし、それは同時にとても抽象的で、初学者にとってはなかなか近よりがたいものだと思われています。
圏論が「近よりがたい」と思われている理由は、いままで身近な例によって説明されてこなかったからです。圏論は大抵、専門的な数学や数理科学の枠組みで説明されることが多く、その実例も高度な数理科学を背景にしたものになりがちです。これが圏論へのアプローチを難しくしている大きな原因となっています。
しかし、実社会の中にも「圏論的現象」はたくさんあります。例えば、カツ丼を注文するとき、おそば付きの「Aセット」にするか、ラーメン付きの「Bセット」にするか。Bセットにするなら、むしろ親子丼の方がいいか? となると、親子丼Aセットというのも存在するはずではないか? つまり、「カツ丼Bとカツ丼Aの関係における親子丼Bとの関係にあるべきもの」として(実際にあるかどうはわからない)カツ丼Aが浮かび上がってくる…このような思考を、我々は普段から自然にやっています。ここで重要なのは、「親子丼Aと親子丼Bの関係」と「カツ丼Aとカツ丼Bの関係」の間の関係、つまり「関係と関係の間の関係」という、ひとつ階層の上がった「高次の関係」に注目していることです。
ところで、「カツ丼」は料理ですが、「Aセット」というのはそれ自体が料理なのではなく、定食の枠組みのようなものです。メニュー表の同じページに書かれていても、これらは概念的な「なにか」が異なっています。また、Aセットのそばを引っ込めてラーメンに取り替えれば、AセットはBセットに早変わりします。それは単体の料理を取り替えることではなく、定食という枠組み自体の「変換」です。このように、レストランのメニュー表のページの中には、さまざまな階層の概念や、それらの間の変換といった「構造」があります。この構造を、今やったくらいに整理して考えることができれば、あなたはもうすでに圏論的な思考を行なっているのです。実際、ここには「圏・関手・自然変換」という圏論の「三大重要概念」がすべて現れています。圏論を生活の中の身近な例で説明することは可能なのです。むしろ、それこそが圏論の基本的考え方の本質であるとすら言えます。
私(加藤文元)は、世界中の人々がみんな圏論の基本的な言葉を使えるようになれば、例えば、普段の生活や仕事上のきめ細かい意思疎通が、より正確に迅速に行えるようになるに違いないと思っています。なぜなら、圏論は我々の身の回りに隠れているさまざまな「構造」を明確に表現するからです。圏論は圏とはモノと矢印のネットワークのようなものだ、とはよく言われますが、重要なのは、圏論の言葉によって「関係性の階層レベルを正確に捉え、モノや関係のきめ細かい役割を明確化できる」ことです(他にもあります)。モノ自体や、モノとモノとの関係、さらにモノとモノとの関係の間の関係…といった関係性のレベルの違いを明らかにできて、しかもそれによって各々のモノや関係の役割を明確化できれば、人間のコミュニケーション能力は格段に向上するでしょう。ですから、圏論は実は実社会にとても近い実学なのです。
この講座では圏論の基本的な概念である「圏・関手・自然変換」を説明し、その基本的な役割や普遍性による対象の捉え方などについて学びます。そして、それらを通じて「圏論的考え方」の本質を理解することを目標にします。その際、上述のような我々の「思考パターン」的な例も(そして、もちろん、簡単な数学的例も)交えてじっくり理解することを目指します。この講座の第1期が「最大公約数」という、比較的に簡単な算数の題材を選んでいるのも、このような理由からです。そして、実はそれが圏論のある種の側面を非常によく切り取っているものであることが、次第に明らかなってくるでしょう。
もちろん、圏論の威力はそれだけではありません。圏論をさらにフル活用する上では、表現関手や米田の補題、さらには随伴性やモナドといった、もう少し高度な内容が功を奏することになるでしょう。これらの内容や、最近の確率論や統計学をも含めた応用については、本講座に引き続いて2026年度後期に開講される「後半」で取り扱います。(さきに述べたように、本講座では『はじめての圏論・ブンゲン先生の現代数学入門』(講談社ブルーバックス・2025年10月刊)の第1章〜第7章の内容を扱いますが、後半では残りの章(第8章〜第9章)をさらに充実させた内容を扱う予定です。)
圏論という奥深く、数学を飛び越えた多彩な側面と応用例をもつ現代数学の理論について、その本質的な考え方を垣間見ることのできる本講座に、多くの方の受講をお待ちしております。
(動画は2024年後期に『圏論入門 特別講義』として開講した時のインタビューです)